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私のブログを見に来ていただき、ありがとうございます。
検索エンジン最大手グーグル社によると、世界中にホームページは2京(けい)、すなわち1000兆の20倍のページが地球上に存在しているそうです。
(どうやって数えたんだろ)
見ていただけただけで奇跡みたいなものですよね!
ありがとうございます。
はじめまして。
トランクルーム大家のマイクラです。本名は、ページ下段のリンク先に掲載されている、会社案内の中にございます。
サラリーマン家庭出身、ふつうの家族子持ちの、おっさんです。
マイクラというのは、私が経営しているセルフストレージ(トランクルーム、レンタル収納、レンタル物置の総称)のブランド名です。
マスコットキャラクターはくまの「まいくま」ちゃんです。
「マジ~?ウケルー」と、いまどきの若者に言われるのが好きです。
私はもともと昭和の第2次ベビーブームのサラリーマン家庭に生ました。長嶋茂雄がジャイアンツは永遠ですと言って引退した年の2年前です。
ふ、ふるすぎる。
相続させてもらえそうな財産も田舎の一軒家(物件概要:所在地岩手県。最寄駅徒歩70分木造2階建て当時築35年)以外にないという、いわゆる日本中どこにでもあるような、フツ―のサラリーマン家庭です。
学校卒業後もサラリーマンをしていたので、これもよくある話と思います。
家が裕福じゃないので(当時よくある話)金のない学生時代。
ほか弁でバイトした帰り道。
神田神保町の古本屋街をぶらっと歩いていた時、今は亡き投資の神様とよばれた作家の「邱永漢(きゅうえいかん)」さんの古本を手にしました。
立ち読みをして、ものすごい衝撃を覚えました。
こんなすごいひと、いるんだ。
今思えば、これが不動産投資という世界の存在を知った最初のきっかけです。
彼は不動産でレバレッジをかけつつも長期保有、株式投資と組み合わせることで莫大な富を築きました。
とはいえ当時の僕にはお金がないので、知っただけです。
行動を起こそうにも、起こせません。
まずは暮らしていかないと。
なにしろ、田舎から上京して大学の学費が高くて生活費を削るしかないような状況だったからです。
どのぐらい切り詰めていいたかというと、漫画のなかでしか見ないような生活を送っていました。
読めばわかると思いますが、悲壮感みたいなのは無くて若さゆえの勢いだけあって、必死だったから、
いま思い出してもちょっと可笑しい。
今やれって言われても、むり~。
日曜日の閉店間際の肉の量販店。
生活費を浮かせるために食材の豚小間切れ肉(100グラム68円の特売品)を週に1回、1キロ買う。680円。現金に余裕があれば2キロ。月に1~2度だけど。
学校帰りにある別のスーパーで金曜日の夜にタイムセールがあり、そこには売れ残りの野菜が安くかご積みになっているので買う。398円。
日曜の夜、肉と野菜を煮込んで1週間分のカレーを作る。
実家から送ってもらったコメを炊いて一週間カレーを食う(昼飯はその米で握った塩おにぎり)。
ガス代がもったいないので、カレーは寸胴のまま冷蔵庫に入れ、炊いたご飯の上にそのまま載せて食いました。
こうすると、カレーをあっためなくても、5分くらいでいい感じにぬるくあったまるのです。
サバイバルゲームって感じです。
東日本大震災の時、災害時出動の自衛隊員の方が冷めたご飯に冷たいままのレトルトカレーを掛けて食べている(あったかいものは被災者の方にという心配りなのだそう)のをみて、上には上がいるなぁ~と敬服しました。
アパートは板橋区成増(なります)1丁目のクリーニング店の2階にあった風呂無し築45年1K家賃3万6千円。
大家さんは人の好いおじいちゃんおばちゃん。
銭湯代が足りなくて台所で水浴びしたり。
ドラえもんの作者の藤子不二雄さんが若いころ、同じようなことをトキワ壮でしていたと本に書いてありました。
そんな暮らしをしていました。
学業の傍らバイトは4つ掛け持ち。弁当屋と塾講師と家庭教師と、プログラマ。
朝から授業が始まるまで、麹町の弁当屋で飯炊き。朝4時に起き、始発で麹町のほか弁にいき300人分の飯を炊き、唐揚げを揚げた。
当時は日テレが麹町にあったので朝、ロケに出発するロケバスが横付けして、ADさん?若い人がカレーとか唐揚げ弁当を50人前100人前といった感じで買っていきました。
テレビ局って金あるんだなーと思いました。
キャスターの櫻井よしこさんなどが、ときどき買いに来てくれました。やさしくて、美人だったなあ。
当時は不動産バブル景気のピークから終わりかけのころで、弁当屋の社長と店長が区分マンションを転がして500万儲けた、1000万儲けた、なんて話をしてました。
学生時代のうちにバブルも終わり、ここに書いたような暮らしぶりだったので、バブル景気の恩恵にはよくすることができず、ざんねんでした。
授業がない曜日は家庭教師と塾講師。
物覚えが悪く、勉強に苦労したせいか?逆に何がわからないかがわかるようになり、教えることは大得意。
英語や数学の偏差値30,40台のお子さんを偏差値60,70台にあげてあげたことが何度もあります。
あんなのは方法論があるので、子供と親御さんと先生の間の信頼関係ができれば、ふつーの脳みそを持った子なら、時間を半年から1年いただければ、そんなに難しくない。
電車代がもったいなくて、3駅4駅だったら歩きました。
あとは、プログラムを書くことができたので、
金に困ると単発の開発バイトにとびこんで、納期直前3日ユンケル飲んで徹夜して仕上げるのを手伝ったりしました。
こういうのは払いがいいので、分厚い教科書とか機材を買うときには重宝しました。
大学の学部を終わり、先生との良い出会いがあり、推薦状をもらって国立大学の大学院へ進学。
奨学金はもらえたけれど、返さないといけないので暮らしぶりは変わらず。
なんとか学生時代を修行僧のように生き延びて、社会人になりました。
貧乏は嫌だなあ お金持ちになる秘訣を知りたいなあ そうだ、お金持ちがいっぱい集まるところで働けば、秘密がわかるのでは?
と、いうわけで、企業派遣で大学院に来ていた同級生に教えてもらった銀行をいくつか受け、サラリーマンになりました。
最初の勤務先は銀行で、そのあと外資系金融でした。日本の銀行や証券会社に投資性の金融商品を卸しているのが外資系金融です。
日本の銀行はグローバルの金融ピラミッドの頂点にはいないんだなー 金は貸すけど、担保は取るのでリスク取らないもんなーと
ぼんやり思って悲しかったのを覚えています。ちなみに保険会社、証券会社も同様です。残念ですけど。
(いまは自分で会社を経営するようになったので、ほぼ無リスクで自社のお客様に商品を販売して手数料だけいただけるのであれば、それはそれでよいのかなとも思ったりします。
当時は日本の政府や新聞テレビが世界を代表する金融機関とかなんとか報道しており、一方でグローバルにはぜんぜんそんなことはないと知り、新米サラリーマンなりにちょっとがっかり)
外資金融はリターンの源泉はリスクという発想がしっかり根付いており、計測可能なリスクならばとれるものは取ろうという文化がありました。
そこに超過利益の源泉があるからと。
不動産投資にもそのころの経験が生きています。
そこで資産運用などのお仕事をさせていただいている中で、資産数百億円というような超ド級の資産家が日本に少なからずいることを知りました。
そしてその多くが資産保全と資産運用の目的で不動産に資金を投じていること。
銀行とうまく付き合い、レバレッジをきかせてリターンを向上させながらも安定運用を実現していること。
昔読んだ邱永漢さんの本の内容がよみがえります。
不動産投資に、ますます関心が強まっていきました。
いろいろ調べたり勉強したりはしたものの、実際に投資行動に移るまでには数年かかりました。お金を貸したり投資商品を売る立場と、身銭切ってリスクとって投資するのとでは、心持ちがだいぶ異なります。
それでも、2000年代初頭、勤務先の同僚が不動産投資でアーリーリタイアを果たしたのを見てついに決意。
不動産投資を始めました。
就職して給料をいただけるようになってからは毎月、手取り月給の一割とボーナスの半額をためる習慣が付いていました。
当時は今のように銀行が貸し先が見つからなくて個人にアパートローンでどんどん貸し付ける、というような時代ではありませんでした。
一部都銀が先駆的に収益還元評価で個人富裕層にハイレバレッジローンを出していた以外は、自己資金で二割は最低必要な時代でした。でも、軍資金はあったので、何とかなったのです。
(銀行業界はその後、その都銀傘下の関西系の地銀が同じ融資を始め、静岡のS銀が始め、横浜のY銀が他行の様子見ながら少しずつはじめ、千葉のC銀行が続いて、ノンバンク系のO信託が続いて。。。というように、融資競争が拡大していきました。みなさんはその流れの延長線上に、いるのです)
状況に応じてレバレッジをかけたり、かけなかったり。レバレッジも使いよう。善し悪しなので。
高利回り投資を追求する中でアパート・マンション・商業ビル・更地・トランクルーム投資、競売、任意売却、建て替え、不良債権化した収益物件への再生投資など各種不動産投資を経験。
現在では、不動産好きが高じて宅地建物取引業免許を取得、業者向けデータベースREINS(レインズ)を直接見ることのできる立場になりました。
ミイラ取りが不動産屋、ミイラが不動産購入者とするならば、「ミイラ取りがミイラになった」ではなくて、「ミイラがミイラ取りになった」。
つまり不動産屋さんも経営しています(こちら。 満室経営研究会とトランクルーム・レンタル収納のマイクラ。
2ブランドとも、同じ法人(日本公共収納(株)Public Storage Japan Co., Ltd.)で運営しています。お客さまが安心してお付き合いいただけるよう、資本金はどーんと積んで6290万(ほとんどが独立開業前に不動産投資をゼロから始めて得た資金です) そんじょそこらのぽっと出の宅建業者とちがい、財務基盤が盤石なので、私のブログにかいてあるような、ぽっと出の同業他社の所業、手数料欲しさに個人をだまくらかすような取引に手を染めることは、ありません。
その意味では新米大家さんではありませんし、ウキウキと心躍ることは書けません。
景気の山と谷を何度か経験してきた人間なので、ブログも内容が辛辣かもしれません。
これから1棟目に挑戦する方や1棟目を買ったばかりでウキウキな方は読まないほうがいいかもしれません。
はじめに謝っておきます。
ごめんなさい。
でも、このブログでは、いろんな裏話、経験談や、不動産への投資を通じて生き残っていくためのヒントをたくさん紹介しています。
生きた経験をもとに書いてありますから、読んでいるうちにあなたが経験したことであるかのように、
知識として蓄積していってほしいな、と願っています。
ブックマークなどして時々覗きに来ていただけると嬉しいです。
また、コメントやメッセージをいただけると執筆の励みになります。いただけると、うれしいです。
金融畑が長かった関係で、都銀、地銀はじめみなさんもお世話になっているかもしれない収益還元評価でおなじみのあの銀行やこの銀行ともお付き合いがあります。
また、ローン金額が伸びないと言われている巨大金融機関や保守的な地銀さんでも、ローンを引き出す方法は、あるのです。
自称ローン専門家がしらないだけ。
金融機関側にいた、いわゆる現場を知っている実践型の不動産投資家ですから、融資の話は、白黒見極めつけるのがものすごく速いです。
金融マンが融資稟議を書く状況を想像しながら話を進められるからです。
どこぞのセミナーでン万円払ってホニャララ投資法の教科書を買うより早いし手っ取り早いこと請け合い♪
つたない文章ですが、不動産投資を通じて経済的自由を獲得したい皆さんのために、業界に横たわるタブー、落とし穴、成功の秘訣、失敗談なども書いていきたいなと
思っています。
学生時代からここまでを振り返ってみて、今日まで無事に生き延びたことといろんな出会いにおどろくとともに、
いつ偏食とバイトのし過ぎで倒れてもおかしくない日々だったので(サバイバル感満載で、たのしかったけど)、
いまここで自己紹介文を書くことができて会社を数社所有することができて大家業で自活できてみなさんにトランクルーム投資の良さをお伝えすることができること自体
奇跡のように思えてきました。
そう。人生ま毎日が奇跡の連続。自分で未来を変えられる、やったことはすべて自分に跳ね返ってくる。
ここであなたにこの文章を読んでいただけたのも、確率を考えるとほとんど奇跡。
文章下手な私のブログを見に来ていただいて、ありがとうございました。
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